2008年12月2日火曜日

沖縄戦「次のスタートラインを目指して」


今日は北上田源のコメントを紹介いたします。
12・8トークライブでは沖縄から駆け付けます。

 はいさい!執筆者の1人、沖縄の北上田です。さすがの沖縄も半袖で過ごしていると周りから冷たい目で見られる時期になってきました。とか言いながら、今部屋の中でTシャツ一枚でパソコンに向き合っていますが(笑)
 さて、11月29日(土)に私達虹の会が中心になって「ひめゆり学園の跡地をたどる」フィールドワークをしました。「ひめゆり学園」とは、沖縄戦の際に「ひめゆり学徒隊」として動員された学生たちが通っていた学校の通称です。今回は参加者と一緒にその跡地を2時間ほどかけてゆっくりと回りました。
 本でも紹介させてもらいましたが、体験者との対話の中で虹の会のメンバーがドキッとさせられたのは、戦前の「学園生活」の部分の話でした。今の僕たちと変わらぬ「日常」がそこにあり、そんな「日常」が「非日常」とつながっていく過程がリアルに見えたからです。そうした体験があったので、「『戦争体験』だけでなく、そこにつながる『学校生活』を多くの人に知ってもらいたい」というのが、虹の会メンバーの共通認識でもありました。だから、当然今回の「学校跡地」のフィールドワークをしたねらいもそこにありました。
 しかし、残念ながら戦時中の空襲や地上戦、そして終戦直後の米軍による接収などで、学校と跡地は徹底的に破壊されました。さらに、戦後復興期にこの場所には「栄町(さかえまち)」と呼ばれる市場ができ、住宅・飲食店街も建設され、現在に至ります。元ひめゆり学徒の方は、よく「学校の裏には松の生えた丘があってね…」と言われますが、今ではその「丘」の起伏すらもまったくなくなってしまっています。
 そんなわけで、当時の面影を残すものはほとんどなく、準備段階からとても苦労しました。元ひめゆり学徒の方の講師としての参加も難しいという返事が舞い込み、結局虹の会のメンバーがガイド役をすることになりました。(ん?、このパターン聞いたことあるような…)
 当時の面影をとどめない場所で、当事者でない人間ばかりが集まって当事者の記憶を手繰り寄せることができるのか?無謀かもしれませんが、虹の会としてこの課題に向き合おうとしたのが今回のフィールドワークでした。その様子は、ボクが考える「伝えていく形」とも密接に関わることなので、12月8日当日に少しでもお話できればと思います。みなさん、会場でお会いできるのを楽しみにしています。それでは。

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