2008年12月5日金曜日

朝鮮戦争「朝鮮戦争と現代日韓関係」

12・8トークライブまであと3日!
我々9+2人は、最後の詰めをしているところです。
当日はトークのほか、劇と音楽、そして9人が撮り貯めた写真を使ったアートセッションもあります。さまざまな試みを通して、「戦争」を語りついで行くことを考えたいと思います。



今日は朝鮮戦争の章を担当した角南圭祐からのコメントをお送りいたします。


 韓国在住のジャーナリスト、角南です。ソウルは今日、最高気温零下4度に冷え込みました。それとは逆に、ウォンに対する円高は最高水準にあります。まさに今、韓国旅行の大チャンス到来です。写真は、「戦争への想像力」の本でも紹介した、平澤(ピョンテク)市テチュ里にある米軍基地「K-6キャンプハンプリー」の中にある野球場2面、そしてその向こうに見えるのは新築された軍人・軍属のためのアパートです。先日、基地の中に初めて入りました。中にはショッピングモール、映画館、プールなど様々な生活施設や娯楽施設が、軍事施設の隣にありました。

 この基地は、ソウル以北の米軍基地が2013年までにすべて移転してくることになっており、急ピッチで拡大工事が進められています。写真の奥に見える新築アパートは、移転とともに大勢やってくる米兵たちを受け入れるためのものです。この拡大工事のために、テチュ里とトドゥ里の集落、そして広大な水田が強制収用され、なくなりました。3年前から足しげく通ったテチュ里と田畑は、すでに跡形もなく荒地になっていました。青々とした命を生み出す農地は、赤茶けた荒地となり、そして数年後にはコンクリートで固められた軍事施設や、青々とした米兵のためのゴルフ場に変わる予定です。

 このやるせない気持ちをどこにぶつければいいのか。テチュ里の人々の生活を守るために、私は記者として何の力にもなれなかった。分断国家という存在、米軍再編という権力の前に、我々は何を見て何を伝えるべきなのか。トークライブでは今も続く戦争について考えたいと思います。

2008年12月3日水曜日

「従軍慰安婦」正義と尊厳の回復を求めて

12・8トークライブ、メディアでも少しずつ取り上げてくれ始めました。

東京新聞12月4日付
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20081204/CK2008120402000082.html
下北沢経済新聞11月27日付
http://shimokita.keizai.biz/headline/550/

今回は「従軍慰安婦」の章を書いた村上麻衣のコメントをご紹介いたします。

 京都より村上です。証言集会のために台湾から92歳と最高齢の被害者である呉秀妹アマーをお招きし、先週水曜日から昨日までの5泊6日を共に過ごしました。
 秀妹アマーは2年前の全国同時企画のときにも京都に来てくださった方です。今年は私立の高校で二日間、証言集会を行うことができ、アマーも「あなたたちは大人よりよく私の話を理解してくれている」と喜んでおられました。そして30日の証言集会も、「悲惨な」話を聞いて辛い気持ちになるだけではなく、「あたたかく支援してくれる方々のおかげで、これまで生きていた中で今が一番幸せ」と感極まって涙ながらに語るアマーの姿に、温かい気持ちも一緒に持ち帰っていただけたのではないかと思っています。

 それで、8日のイベントでは終わりたてホヤホヤの熱い気持ちで、この呉秀妹アマーの話と京都との交流を中心にお話したいと思っています。(台湾編は本の中でも枚数が足りなくて省いたので)

2008年12月2日火曜日

沖縄戦「次のスタートラインを目指して」


今日は北上田源のコメントを紹介いたします。
12・8トークライブでは沖縄から駆け付けます。

 はいさい!執筆者の1人、沖縄の北上田です。さすがの沖縄も半袖で過ごしていると周りから冷たい目で見られる時期になってきました。とか言いながら、今部屋の中でTシャツ一枚でパソコンに向き合っていますが(笑)
 さて、11月29日(土)に私達虹の会が中心になって「ひめゆり学園の跡地をたどる」フィールドワークをしました。「ひめゆり学園」とは、沖縄戦の際に「ひめゆり学徒隊」として動員された学生たちが通っていた学校の通称です。今回は参加者と一緒にその跡地を2時間ほどかけてゆっくりと回りました。
 本でも紹介させてもらいましたが、体験者との対話の中で虹の会のメンバーがドキッとさせられたのは、戦前の「学園生活」の部分の話でした。今の僕たちと変わらぬ「日常」がそこにあり、そんな「日常」が「非日常」とつながっていく過程がリアルに見えたからです。そうした体験があったので、「『戦争体験』だけでなく、そこにつながる『学校生活』を多くの人に知ってもらいたい」というのが、虹の会メンバーの共通認識でもありました。だから、当然今回の「学校跡地」のフィールドワークをしたねらいもそこにありました。
 しかし、残念ながら戦時中の空襲や地上戦、そして終戦直後の米軍による接収などで、学校と跡地は徹底的に破壊されました。さらに、戦後復興期にこの場所には「栄町(さかえまち)」と呼ばれる市場ができ、住宅・飲食店街も建設され、現在に至ります。元ひめゆり学徒の方は、よく「学校の裏には松の生えた丘があってね…」と言われますが、今ではその「丘」の起伏すらもまったくなくなってしまっています。
 そんなわけで、当時の面影を残すものはほとんどなく、準備段階からとても苦労しました。元ひめゆり学徒の方の講師としての参加も難しいという返事が舞い込み、結局虹の会のメンバーがガイド役をすることになりました。(ん?、このパターン聞いたことあるような…)
 当時の面影をとどめない場所で、当事者でない人間ばかりが集まって当事者の記憶を手繰り寄せることができるのか?無謀かもしれませんが、虹の会としてこの課題に向き合おうとしたのが今回のフィールドワークでした。その様子は、ボクが考える「伝えていく形」とも密接に関わることなので、12月8日当日に少しでもお話できればと思います。みなさん、会場でお会いできるのを楽しみにしています。それでは。

2008年12月1日月曜日

南京事件「被害と加害から戦争を考える」


続いて「南京事件」の稿を執筆した荒川美智代のコメントをご紹介します。
参加者9人が、それぞれ12月8日のトークイベントに向けてアイデアを練っています。是非お越しください。


 日々仕事と活動の掛け持ちでいつも眠いです。そしていつも荷物が重いので姿勢も悪くなったような気がします。

 ちなみにこの写真は中国の撫順戦犯管理所の望楼から私が謝罪碑を見下ろしているところです。謝罪碑はよく見ると微妙に写っています。この謝罪碑は中国の戦争被害者のために中国帰還者連絡会(中帰連)が建立したものです。夢にまで見た戦犯管理所に行けてとても嬉しかったです。12月8日のイベントはとても緊張しそうですが頑張ろうと思います。

2008年11月30日日曜日

東京大空襲「街のざわめきに記憶を込める」


「東京大空襲」の稿を執筆した山本唯人からのコメントです。

これから随時、12・8トークライブに参加する人のコメントを紹介していきます。


 11月22日、東京都内に残る空襲被災樹木をフィールドワークで回りました。

写真は港区芝公園に残る大イチョウ。幹の一部が炎でえぐられたように炭化しながら、何10年もかけてみごとによみがえっています。誰にも振り向かれずに、じっと立ち尽してきた木の姿を見ると、自然に「いのち」を愛しむ気持ちがわきあがってきます。

 site for peaceということばが、ふと浮かびました。この世に「いのち」がどんなかたちをして存在し、たくさんの「いのち」が、支え合ってはじめて生きられる存在であるという単純な事実に、いつも気付かせてくれるような場所。「戦争を伝える」とは、そんなサイト/場所が、身近な風景の中にあり、それを大切にしていけるような社会を、つくり、育てていくことだと思っています。

 8日のイベントでは、それが急務であることを、東京の今の風景と重ね合わせながら、語ってみたいと思います。


※東京の空襲被災樹木について紹介する展示を、12/27(土)まで、江東区の東京大空襲・戦災資料センターで行っていますよろしければご参観ください。